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出雲は現在の島根県松江地方、お茶との関係でいえば茶人、松平不昧公がたいへん有名で、茶菓子にもなかなかこったものがたくさんあります。
出雲の人々の間で戦前までひろく愛好されていた食べ物がボテボテ茶です。宝珠を刻んだ飴色の茶碗に自家製の番茶を注ぎ、ササラに似た茶筅の先に塩を少々つけて泡立てます。これに黒豆とか赤飯、あるいは刻んだ漬物などを入れてまぜて食べるのです。山口県は尻振り茶といって、箸を使わずに口に放り込むのが正しい食べ方だという所もあります。大げさにいえば、ご飯を空中を飛ばすことになります。
ボテボテ茶の起源は、庶民が飢饉で苦しんでいたとき、不昧公がこうすれば乏しい食べ物を食いつなげると教えてくださったのだ、といわれています。でも山口県の大島地方では、この島の名物といわれている茶粥の起源を、関が原の役のあと岩国に移された吉川氏が、経済的に苦しいなかでも満腹感を感じることができ、しかも節米になるとして茶粥を始めのだと説明しています。
殿様に教えられたというよく似た話が各地に伝わっているということは、こうした食べ方はあまり豊かには見えないけれど、じつはこんなに由緒があるのだと言うためのお話に過ぎません。今では珍しくなってしまった茶の利用法は、特定の人によって始められたものではなく、もともと庶民の間に伝わっていた食習慣だったはずです。ボテボテ茶は、お茶本来の利用法の一つを伝えるものだとみて間違いないでしょう。
(中村 羊一郎)
参考文献および写真提供:旧金谷町お茶の郷博物館