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摘採機械の変遷(手ばさみから乗用まで)

茶は何百年もの長い間、手摘みにより収穫されていました。茶の摘採に手ばさみが登場したのは明治終期から大正初期です。大正2年、菊川町の内田良平が実用的な茶鋏を発明し普及しました。能率は手摘みの5~10倍で熟練すれば極めて細やかな操作が可能であり、現在では鋏の柄に木綿布袋が付いたものが使われています。

戦後までは手ばさみが主流でしたが、昭和25年に動力付きの一人用摘採機が発明され、昭和30年代後期に急速に普及しました。能率は手ばさみの2~3倍になりました。

昭和40年代に入ると、可搬型(二人用)摘採機が登場しました。二人の組作業が必要であること作業強度が大きいことが欠点ですが、作業能率が高く小回りが利き、価格も安価なため、現在でも静岡県では主流の摘採方式となっています。

昭和46年には鹿児島県で乗用型摘採機が実用化されました。茶うねをまたいだ車体上に人が乗り、運転しながら摘採作業を行うもので、一般的にはクローラ型が主流となっています。作業能率は10a当たり約1時間程度で、労働強度も大幅に軽減され、平坦地が多く経営規模が大きい鹿児島県を中心に南九州に1千台以上普及しています。静岡県では、昭和63年頃から普及し始め、現在、数十台導入されています。最近では、乗用型を軽量化したコンパクトなタイプの小型乗用摘採機も急速に普及しています。

また平成元年頃から開発されたレール走行式摘採機も県内190ha以上に導入されています。これは、茶うね内に設置したレール上を摘採機が電動で走行し摘採を行うもので、労働強度が低く一人で作業ができる反面、能率は可搬型摘採機にやや劣ります。

この他にも、歩行しながらエンジン付きの摘採装置を操作する自走型摘採機も一部で利用されています。

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