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ティーレースの時代

夢とロマンと冒険を乗せて世界の海洋を疾走したヨット。今日でも白い帆を張った大型ヨット(帆船)を見るとき、私たちはその美しさに思わず魅入られます。このヨットこそお茶を輸送するために登場してきた帆船なのでした。

1. のんびりしていた東インド会社の帆船、片道一年半

帆船で世界の海洋を航海する時代、いわゆる大航海時代、その帆船は長旅の航海に耐えるよう頑丈に造られ、海賊に対抗するため大砲をたくさん備えており、その分船足は遅くなりました。商船といえども実際は軍艦でした。今日でも大海洋ではいずこともなく海賊があらわれ、船が襲われることはしばしば発生します。たとえば、1999年10月、マラッカ海域を航行中の日本の貨物船が海賊に襲われ、積荷のアルミニュームともども奪われ、乗組員が海上に投げ出される事件がありました。東インド会社の船はイギリスから中国まで、片道で18カ月(一年半)かかりました。したがって中国のお茶をイギリスに運ぶまでに3年もかかっていたのでした。これではいくらおいしいお茶でも味も香りも失せてしまいます。

おいしいお茶をできるだけ早く運ぶことは時代の要請でもありました。19世紀、東インド会社の貿易独占や「航海法」が廃止されると外国船もイギリス貿易に参加できるようになり、この自由化によっていかに早くお茶を輸送するか、競争の時代へと入りました。一番大きな影響を与えたのはアメリカの船でした。

2. アメリカのティー・クリッパーは片道3カ月

イギリスの商人がチャーターしたアメリカのクリッパー(海上をすばやく走るの意味 大型帆船)「オリエンタル号」はお茶をホンコンからロンドンまでなんと97日、じつに3カ月で運んでしまったのでした。東インド会社船の5分の1以上の短縮ですからたいへんな驚きでした。以後、イギリスでもアメリカの帆船を参考にクリッパーがさかんに建造されるようになりました。

クリッパーはアメリカのニューイングランドで生まれ、風をできるだけ多く集めるため、2~3本のマストを高くして帆を張り、横風をも推力にかえるジブという横張りの三角帆、浅い船底と鋭い船首を特徴にしているものです。

3. ティーレースの時代

かくして1850年代からお茶をできるだけ早く、大量に輸送する快速帆船、クリッパーの時代となりました。とりわけクリッパーによる新茶の輸送競争、ティークリッパー・レースがさかんになりました。もっとも有名なものは1866年のレースでした。イギリス船16隻がフーチューに集まり、新茶を積んでゴールのロンドン港に向かいました。99日かかり、1位は「テーピング号(中国語の太平)」、2位は「エリエル号(風の精)」で、その差はなんと10分、しかも艀(はしけ)による操船の差でした。実際はほとんど差がないほどでした。海の男のシーマンシップが発揮され、多額の懸賞金は双方で分け合われたのでした。

ウイスキーの商標で有名な「カティー・サーク号」ももとはティー・クリッパーでした。

(参考文献)
船の世界史 上野喜一郎 舵社

(森竹 敬浩)