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(北宋 960~1127、南宋 1127~1279)
宋代の茶には実質的に2種類あったと考えられます。一つは固形茶(唐の餅茶、宋の片茶、研膏茶)、もう一つは製茶の際に固めない散茶です。どちらも粉に挽いて飲んだと考えられます。高級な研膏茶は宮廷に献上されました。唐代よりもっと製茶方法が複雑になった研膏茶は、他の香をつけたり、、龍の模様を浮き出させたりするようになりました。飲んで楽しむという茶の本来の姿からは遠ざかって権力・地位の象徴となっていったのです。宋代の初めは茶を匙でかき混ぜていましたが、『大観茶論』(北宋末)には竹製の茶筅について書かれていますし、南宋末の『茶具図賛』には竺副師というささら状の物の絵があります。日本人の僧栄西が中国から日本に茶道を伝えたのは南宋の末期ですから、日本茶道の抹茶の点て方が南宋の茶の飲み方に近いかもしれません。
一方一般では、自分で挽かずに飲める、粉状に挽いた茶(末茶)が主流になりつつありました。水力で茶を挽くことも行われていました。『東京夢華録』には(茶の)瓶を下げて往来を売り歩く人もいたとあります。すでに飲める状態にして持ち歩いたのか、茶碗に粉状の茶を入れて湯を注ぎ、かき混ぜて飲ませたのではないでしょうか。
また、都市化が進み、茶を飲ませる場所=茶肆もたくさん作られました。そこでは、いわゆる茶以外にも、「奇異茶湯」他、いろいろな材料を合わせた飲み物が季節に応じて売られていました。唐代に既に始まっていた闘茶という茶比べのゲームも盛んに行われました。
宋代になって茶は日常の物となり、庶民の生活・娯楽にまで浸透したのです。
(参考文献)
<日本書>
<中国書>
(斎藤 美和子)
笠副師